南東北風土記

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智恵子抄 編(2)


あれが阿多多羅山、


 指さしながら、土地の娘が都の若者に、山、川の名前を告げていく。さながら風土記の一節、あるいは万葉歌!
 探訪時は晴天でしたが、安達太良山はあいにく雲におおわれ霞んでいました。まあ、リアリティはあるかも。
 智恵子と光太郎の眼に映じた安達太良山はどのような姿だったでしょうか。


あの光るのが阿武隈川。


 詩碑の丘から初春の阿武隈川を望む。「樹下の二人」の季節は初冬のようですね。そういえば、「阿武隈や 枯野に光 湛えつつ」という冬の句もありました。
 二人が眺めた阿武隈川も今では橋が邪魔しています。

 満福寺


智恵子の杜公園を抜けて市街地に下りていく途中にある満福寺は、智恵子の実家の菩提寺です。

石段を登ると簡素な佇まいの寺域が登場。一月前に訪れた因縁の事物盛り沢山だった観世寺に比べると淡白というか。

案内板によると、平泉に落ちて行く源義経、弁慶たち主従が立ち寄った際に食事をふるまい、その礼に弁慶が「飯出山吉祥院満腹寺」と名付けたとか。…ツッコミたくなる縁起ではあります。例えば、明治の中ごろに当寺を訪れた正岡子規は次の俳句を残しています。


水飯や 弁慶殿の 食いのこし

【参考】


  樹下の二人


ーみちのくの安達が原の二本松松の根かたに人立てる見ゆー

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

かうやつて言葉すくなに坐つてゐると、
うつとりねむるやうな頭の中に、
ただ遠い世の松風ばかりが薄みどりに吹き渡ります。
この大きな冬のはじめの野山の中に、
あなたと二人静かに燃えて手を組んでゐるよろこびを、
下を見てゐるあの白い雲にかくすのは止しませう。
あなたは不思議な仙丹を魂の壺にくゆらせて、
ああ、何といふ幽妙な愛の海ぞこに人を誘ふことか、
ふたり一緒に歩いた十年の季節の展望は、
ただあなたの中に女人の無限を見せるばかり。
無限の境に烟るものこそ、
こんなにも情意に悩む私を清めてくれ、
こんなにも苦渋を身に負ふ私に爽かな若さの泉を注いでくれる、
むしろ魔もののやうに捉へがたい妙に変幻するものですね。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。

ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
それでは足をのびのびと投げ出して、
このがらんと晴れ渡つた北国の木の香に満ちた空気を吸はう。
あなたそのもののやうなこのひいやりと快い、
すんなりと弾力ある雰囲気に肌を洗はう。
私は又あした遠く去る、
あの無頼の都、混沌たる愛憎の渦の中へ、
私の恐れる、しかも執着深いあの人間喜劇のただ中へ。
ここはあなたの生れたふるさと、
この不思議な別箇の肉身を生んだ天地。
まだ松風が吹いてゐます、
もう一度この冬のはじめの物寂しいパノラマの地理を教へて下さい。

あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。


智恵子抄(高村光太郎)
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