土知朱(つちくも) 編
梅雨の最中の真夏日、水郡線は棚倉町の近津駅に降り立ちました。
目指すは八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)。陸奥国風土記逸文「八槻郷」のおもかげ探訪です。
逸文の内容はというと、土地の「土知朱(つちくも)」八部族が「津軽の蝦夷(えみし)」と連合してヤマトタケル軍と真っ向対決、武運つたなく敗れ去るという大活劇。
たどりつくと 門には奥州一ノ宮の掲示。
縁起によれば、日本武尊(やまとたけるのみこと)が八溝山(やみぞさん)の「東夷」の大将を討ち取った際、守護として示現した三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりだそうで、味耜高彦根命(あぢすきたかひこねのみこと)と日本武尊を祭ります。
風土記逸文と縁起が微妙に違って興味深いですね。
八槻都々古別神社は都々古別三社の一社で「近津三社」の"中の宮"にあたると。
そう聞くと、残りの二社も気になるのが人情というものです。"上の宮"にあたる馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)は棚倉町内にあるので向かわねば!
久慈川の清流を渡り、炎天下、一時間の徒歩行。気分は巡礼です。
先の八槻都々古別神社も鬱蒼としていましたが、こちらの神社はさらに古木が茂っていて…涼しい。神社は雰囲気もあいまって涼しい場所であると実感した日でした。
門には陸奥一ノ宮の掲示。さきの神社は奥州一の宮でしたが…。
ここで西郷頼母(たのも)の名前が出てきたのにはちょっと驚きました。
会津藩家老として戊辰戦争で闘った西郷頼母、晩年はこの地で宮司をしていたとは。歴史好きの熱烈なメッセージペーパーが周囲にたくさん貼ってありました。
戊辰戦争といえば、その折りに落城した棚倉城、江戸時代前期に築城されてから240余年の間に8家16代の城主交代がありました。
別名"亀ケ城(かめがじょう)"。お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿さまが転封されたことに由来するそうです。栄転もあれば左遷もあるでしょうから、縁起がいいとも悪いとも言い難い亀ですね。