南東北風土記

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春彼岸 編

 春彼岸最中の会津若松市。市内各所で彼岸獅子の舞が演じられていました。


 歴史ある会津若松市には由緒ある寺社や遺構が市内に点在しています。江戸時代の古地図と現在の市街とを較べると、道路や街区がそう変わっていないことが分かります。鶴ヶ城の周辺の郭内と呼ばれていた武家の居住区は戊辰戦争後に開発が著しいせいか昔日の名残をとどめているものが少ないのですが、郭外と呼ばれていた当時の下町には往事の遺構が至るところに残っています。
 今回は江戸時代に幕府の命により会津藩で編纂された「新会津風土記」を参考に旧跡を訪ねてみました。

 甲賀口門跡。


 郭内と郭外の境の門の遺構です。現存するのはここ一ヶ所だけですが、夜は賑やかな飲食街の一角にあります。

 蚕養国神社。


 会津若松駅から東に徒歩10分。閑静な住宅街に位置しています。新会津風土記では「祭神は稚産霊神延喜式内陸奥国百座の一なり」と記されています。

 

 拝殿の前には、樹齢千年以上とされる峰張桜が立っています。

 境内には江戸時代の古い燈籠が並んでいます。

 八角神社。


 繁華街に位置していますが由緒ある神社。往時はかなり大きな神社でした。
 伊舍須彌神社が正式な名称ですが、新会津風土記では「一説に此地に一の亀ありその甲に八角あり故に社の名とす」とあります。境内には天保や安政に奉納された燈籠が残されています。

 桜ヶ丘出世地蔵。


 会津藩主保科正之が会津移封の際に出羽の最上から移されました。
 その当時植えられた欅の大木が傍らに立っています。

 本四之丁。


 江戸時代城の北側の東西を結ぶ通りは城に近い通りから本一之丁、本二之丁としていました。
 ここ本四之丁では、昔、一つ目小僧が出没したとの言い伝えがあります。現在は高校のグランドに沿った明るい通りとなっています。

 諏訪神社


 江戸時代、会津藩や町民の信仰を集めた諏訪神社。新会津風土記には「若松の大鎮守なり祭神は武御名方命相伝ふ」とあります。室町時代にこの若松を治めた芦名氏が軍神として信州諏訪神社から分祀したとのことです。
 今は訪ねる人も少なく閑静な境内。ここにも意匠を凝らした燈籠が見られます。 この装飾が魅力的な燈籠は享保年間に作られたもの。そのほかにも寛政や文化など江戸時代の燈籠が立ち並んでます。

 日新館遺構 天文台。

 会津藩士の子弟を教育した日新館は城から西に約1kmの場所に建てられてました。戊辰戦争で焼かれ、現在残っているのはこの天文台の遺構だけです。住宅街の一角にひっそりと佇んでいます。
 

 山鹿素行生家跡。


 会津出身の著名な兵学者、山鹿素行の住居跡です。
 現在は東郷平八郎筆の記念碑が立っています。

 (探訪メモ)


 今回の和菓子屋さん、その名も白虎堂!

 勇んであれこれ見繕ったのですが…『逸品』と『秘蔵っ子ピーナッツ』はよその商品でしたよ(^_^;)

 白虎堂オリジナルの彼岸太鼓、探訪中に遭遇した彼岸獅子の太鼓をイメージしているとのことで、味わいひとしおでした。

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