智恵子抄 編(1)
今回は、詩人高村光太郎(1883-1956)の妻でもあり、「智恵子抄」のヒロイン高村智恵子(1886-1938)の故郷旧安達町を訪ねました。
智恵子の生家
智恵子の実家では造り酒屋を営んでおり、花霞という銘柄の日本酒を製造、販売していました。その後、生家は人手に渡っていましたが、旧安達町が購入、保存のための修繕を行い、現在は、一般に公開されています。
智恵子の生家には花霞の看板が掲げられ、大きな杉玉が下がっています。暖簾には酒類製造の他に「こめや」とあり、米穀の販売も手がけていたようです。
生家には当時使われていた団扇や智恵子愛用の琴など所縁の品々が展示されています。
愛の小径
智恵子の生家と記念館を後にし、光太郎と智恵子の二人が歩んだと云われる愛の小径を歩きました。
愛の小径は遊歩道として整備されましたが、アップダウンが多いので、歩くとちょっとしたハイキング気分です。
(探訪メモ)
智恵子記念館の展示で観入ってしまったのは女性の集合写真二葉。
一葉は、パンフレットにも掲載されている「明治45年「青鞜」の人々との新年会で」。時代をリードせんとの若い女性たちの意志がみなぎっています。
もう一葉が、大学の後輩を訪ねて新潟に行った際の後輩の家族との記念写真で、写っているのは女性ばかり。子どもや年配者も含め皆凛として美しい。眼福でした。
【参考】
あどけない話
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
智恵子抄(高村光太郎)