杉妻荘 編
信逹一統志
天保12年(1843)に信夫郡鎌田(現福島市内)の人、志田正徳が信夫伊達両郡を遊歴踏査して地理沿革を記したのが「信達一統志」です。
今回は一巻目の「杉妻荘」の記述に従って福島市を訪れました。
今回は一巻目の「杉妻荘」の記述に従って福島市を訪れました。
馬頭観音(馬場大悲堂)
馬頭大悲堂
海道の西馬喰町のうらにあり、前は馬乗場なり、左右に並松あり、慶長年中越前守平繁長朝鮮の永田馬場を移し此大悲を祭れると云、左右並松は繁長手づから栽たまへしなりと云へ伝り、近世其松を伐し者大に祟を得大熱の如くにて苦しみ悶死せり恐るべし慎むべし
昭和40年代にバイバスが通るようになり場所も現在地に移転しました。祟りを恐れた松並も無く、国道4号線沿いにひっそりと佇んでいます。
宝林寺
行樹山林寶林寺 時宗
街道の東柳町にあり、開山は一遍上人の弟子三祖上人なり、相州藤澤清浄寺の末山なり(中略)当寺に二本松先城主畠山修理大夫義継の位牌あり、其故は義継二本松退去の後信夫郡大森村に於て一寺を建立し(後略)
江戸時代に建てられた熊野堂が現存します。
真浄院
羽黒山眞淨院 眞言宗小祿
古碑
眞淨院境内本堂の東にあり、実に小さな碑なり、延暦二年四月廿六日記、上に眞言梵文あり此外文字見えず何人の碑なるものにや、此碑も当寺を爰に移転の時此地にうつせしものか、又古よりここに建てし者なるか延暦二年巳亥歳なり人皇四十九代桓武天皇の御宇なり天保十二年に至りて千一年の暦数也
古碑がありました。継ぎ合わせられていますが、真言梵文が刻まれています。