霞ヶ城 編
〜風に吹かれて行こう〜二本松
最終回は、霞ヶ城です。霞ヶ城は15世紀の中頃(室町中期)に奥州畠山氏により築かれました。その後、城主は、伊達氏、上杉氏、蒲生氏、加藤氏と替わりますが、最後に、丹羽氏が200年にわたり幕末まで、二本松10万石の統治の拠点としました。
城は戊辰戦争で落城し、石垣を残すのみとなりました。
画像は、再建された箕輪門です。
「X」のマークは丹羽氏の家紋でした。
「X」のマークは丹羽氏の家紋でした。
この「日影の井戸」は、千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と合わせて、「日本の三井」とのこと。
俗称は「底なし井戸」。井戸の深さは約16メートルあり、さらに井戸底の岩盤をえぐって北方に約14メートル達しているそうです。
(探訪メモ1)
亀谷坂を下っていたら思いがけないものに出くわしました。
幸田露伴句碑(里遠し いざ露と寝ん 草まくら)
文豪幸田露伴(1867-1947)若干二十歳、文学を志して職を辞し北海道から上京の旅に出る。秋の日暮れ近く、福島に到着するも路銀が心許ない。夜中歩いて郡山まで行こうと決意し出発するも、ついに二本松で体力・気力尽きて道に倒れ伏し、口をついて出た句だそうです。
この露を伴にした二本松の一夜が忘れられず、後年発奮の意を込めてペンネームを「露伴」にしたとありますから、日本文学史上大きな意義を有する亀谷坂ではあります。
(探訪メモ2)
街中を歩いて心惹かれる老舗の和菓子屋さんが多いところに城下町の伝統を感じました。甘党ではありませんが、つい店に入ってはあれこれみつくろってしまいます。その一端をご紹介しましょう。
(時計回りに)
「智恵子の里」、「拾万石」、「戒石銘」と二本松三点盛りは玉屋玉振堂
「あだたらしぐれ」、「黒糖まんじゅう」、「洗心亭」は日夏
旧二本松藩御用達は玉嶋屋の季節感あふれる店頭ディスプレイ
「うさぎ玉」、「しおがま」は豊田屋